理由

ぼんやりと人生を過ごしていたよ。フツーとは逆側に向かってね。

逆側っていうと身体をどうやって処理するかなとかね。

いつか身体ダメになってゾンビみたいになると思ってたんだ。ナニカ内側にあるものが諦めて、それに関して身体の欲求だけで生きてる感じ。逆側に向かうっていうと、その前に私の内部にあるナニカが力を振り絞って、身体の息の根を止めるわけです。私と息の合わないモノですね。

何故か、当然のようにそう思考してた。ナニカに対して正しくなかったってこと。

 

まあ、そうならなかったけどね。ビビりだから、ブレーキ踏んじゃって、『助けて死にたくない』です。文字通り泣きついたよ。

案外形にはなって、それから自分がとても可愛いってことに気がつくわけです。死にたくないし、人より幸福でいたいし、望むもの全部手に入れたい。

確か10年前も同じこと考えたけど、それは私自身の望んだものじゃなかったようだね。

堂々巡りだけど今度は当たりじゃない?

 

そんなこんなになったのも、死ぬにしてもお金ってかかること具体的にを知ったからことがきっかけ。1年前に相次いで起こった祖父母の葬式で面倒さにビックリ。一人でつながりカットで死ぬことってよっぽどの条件が必要。

つまり、深刻なポーズを決めて甘い現実を生きてたってわけ。

それに母上が悲しんじゃう。面倒だけど私が最後だ。人生ってそんなもんだ。

そして、死ぬために貯めた金でしぶとく生きようとするわけ。

結局、人生においてto be or not to beなんて選択はないのですよ。生きるために生きて、その時が来たら召されるのですよ。王子よ、あなたは真に決断することから目を背けてらっしゃる。

 

そうして、今度はぼんやりとさらに逆側に向かうわけです。

本気で夢見るとか?

昔はたくさんあったんだよ。人と随分違ってたから頭おかしいとは思ってたけどね。その直感は当たり。

それに対しての私のモットーは『夢見るな』。

夢見るぐらいなら死ねってことね。理由はそれが異常だから。そして正常でいられなれないなら黙って死ねってこと。あくまで、私に対してだけだけどね。他の人は知らないよ。世間様教かな。

そんなもん間違ってて、てゆーか思考停止なわけで、死ぬことさえできないわけであります。ないものねだり。おかしなメカニズムが発生して、ロクでもないことにしかならないわけ。死ぬことさえできない。

 

きっと上手く死ぬにはたくさん夢を見なければいけないみたい。そして、息切れしてもそれに飛びつき続けなければならない。次から次にね。

夢をたくさん見て、それなりに形になったり、叩き潰されたりして、自然にエネルギー消費して、いつか自然に夢が生まれなくなって、燃え尽きて死ぬって感じ。

まだまだ先は長いけど、急がないとね。